2020年7月31日金曜日

秋の「聖霊」セミナー

「聖霊」セミナーに向けて

20世紀から21世紀にかけて、世界のキリスト教は「欧米中心のキリスト教」から「非欧米圏(アフリカ・南米・アジア)のキリスト教」へとシフトしつつあります。

世界のキリスト教の比重が非欧米圏にシフトすることによって、神学的強調/特徴もその影響を受けることが予想されます。

非欧米圏のキリスト教の特徴の一つに「よりカリスマティックなキリスト教」が挙げられます。(フィリップ・ジェンキンズ『The Next Christendom – The Coming of Global Christianity』)
このような広い文脈からも言えることは、現代の神学的課題は、宗教改革以来の「聖書中心(letter)の視点」を保持することに加え、「霊(spirit)の働き」を十分に視野に入れる宣教・教会形成ではないかと思います。

しかし「霊(spirits)の働き」は様々であり、必ずしも「御霊による一致」と同調しない動きも多くあることに留意する必要があります。それら“異なる霊”の働きを「見分け・見抜く」こともまた大事な神学的実践ではないかと考えます。(ローザンヌ運動『ケープタウン決意表明』「5.私たちは聖霊なる神を愛する」参照)

私(小嶋崇、このブログの筆者)は2007年から「N・T・ライト読書会」の活動を始めましたが、そのエネルギーの大半は「聖書中心の視点」の整理に傾けられてきたように思います。
「聖書中心の視点」から導かれてくる「実際的」キリスト教はと言うと、新約聖書における「realized eschatology(実現された終末論)」の主張・強調を基盤にしたキリスト教ではないかと思います。すなわち、
主イエスが創始した「神の国」運動は、使徒たちによって「『新しい創造』に生きる実践(礼拝・宣教・生活・祈り・学習等々)」として形成し受け継がれ、長い教会史を経て、現在の私たちにまで受け継がれている
という理解です。(このような見方には、スコット・マクナイト『福音の再発見』(キリスト新聞社、2013年…新装改訂版準備中)やN・T・ライト『驚くべき希望』(あめんどう、2018年)が指摘している「福音」理解に導かれた教会の宣教と実践、が念頭にあります。)

この度「聖霊」セミナーを呼びかける狙いは、2017年「第6回N・T・ライト・セミナー」で終了した研究会の縮小版継続の意味もありますが、神学の学びが「書物を読んで理解する」だけに留まらず、より「世界のキリスト教の動向」を把握したうえでの実践的取組みに寄与したい、ということがあります。

これまで何回か準備会をしながらセミナーの構想をまとめてきました。
秋に「聖霊」セミナーを開催する予定でした。しかし、新型コロナ騒動が持ち上がり、開催が懸念されてきましたが、最終的にZOOMで開催することに決めました。

秋の「聖霊」セミナー【概要】
      聖霊ってどんな方?
『彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。』                 (使徒19:2、新共同訳)
日 時 2020年9月28日(月)、10:30~14:30(1時間のランチ休憩)
講 師 山崎ランサム和彦氏
    「聖霊ってどんな方? ルカ福音書と使徒の働きから学ぶ」
    鈴木正和氏
    「近代ペンテコステ運動史が証言する聖霊の働き」
会 場 ZOOM会議室(事前に入室リンクをメールにてお渡しします。)
参加費 無料
定 員 20名(スタッフ・講師を入れての人数です。)
申 込 小嶋まで t.t.koji(at)gmail.com
    右コラム→「問い合わせ・連絡先」参照。
    登録申し込みは8月10日(月)から受付開始します。
    お問い合わせ等は随時。
趣 旨 「聖霊というお方はどういうお方か」を聖書をベースにしっかり学び、
    聖霊に関するいろいろな教派的立場の違い理解するような学び。
    新しい知識の習得で終わらせず、参加者各自の
    信仰生活の反省や改善に資するような学びを目指します。
    質疑応答や参加者間相互のシェアリングの時間を多くとっています。

    講師の紹介 
山崎ランサム和彦
1970年大阪生まれ。東京大学教養学部卒、同理学系大学院修士課程修了。
米国Bethel Seminary (M.A.T.S.)、Trinity Evangelical Divinity School (Ph.D.) 卒業。
専門は新約聖書学。聖契神学校教師・教務主任・男子寮主事、鶴見聖契キリスト教会協力牧師。
鏡を通してーThrough A Glass」ブログ主。

鈴木正和 
水場(教会)牧師 中央聖書神学校講師
自由学園明日館講師 元自由学園教師 Ph.D.
自由学園最高学部、アマースト大学卒 
コロンビア大学大学院修士課程 バンガー大学大学院博士課程



2020年8月1日
秋の聖霊セミナー世話人会
 小嶋 崇(N・T・ライト読書会主宰)
 福嶌知恵子(日本ナース・クリスチャン・フェローシップ
 伊藤明生(東京基督教大学) 

2020年7月22日水曜日

N.T.ライト・セミナー終了しました

時々このページを訪れてくださる方には
何も更新がなくて失礼しています。

「N.T.ライト・セミナー」は「第6回」をもって終了しました。第6回報告

「第1回」から「第6回」までの「N.T.ライト・セミナー」については右コラムをご覧ください。

現在は、もっと個人的な形で随時「勉強会」や「セミナー」を年一回くらい企画してやっています。

遅くなりましたが、これまでのご支援をありがとうございました。

【乞うご期待】
★まもなく「自主セミナー」の案内をこのウェブサイトを借りて掲載したいと思います。しばらくお待ちください。

2017年11月16日木曜日

第6回N.T.ライト・セミナーのレジュメ(音声データ付)

お待たせしました。

2017年10月23日に行なわれた

第6回 N.T.ライト・セミナー
のレジュメを部数限定で販売いたします。


今回はDVDがありませんが、購入者には録音ファイルのリンクを付録とします。
それでもたったの500円です。(送料等は別) 

※当日プログラム詳細についてはこちらをお読みください。

購入希望の方はさっそくあめんどうのサイトへどうぞ。


 

2017年11月5日日曜日

第6回 N.T.ライト・セミナー 報告

もう二週間が経ってしまいました。

遅ればせ(?)ながら報告をば・・・。


 日時: 2017年10月23日(月) 13時10分~15時50分
  場所: お茶の水クリスチャンセンター・416号室
 


 超大型台風21号が直撃か。

 場合によっては予告したツイキャスも、レジュメもなしで開催か。
 はたまた中止か。

そんなことを前日まで案じながら朝起きてみるとどうやら台風の方はなんとかなりそう。

しかし交通への影響が残っているかも知れない・・・、と回復した天気の中お茶の水にやってきました。

早い話、今回は開催したところで「半ば仕事は終わった」ような感じでした。


今回は出席者が少なく、予定開始時間にはほぼ集っていました。
 

開会に当たってあめんどうの小渕さんの挨拶と開会祈祷。(小渕さんは受付・会計・販売担当委員をやってくれています。)

邦訳中のライト『Surprised By Hope』の一パッセージを紹介し、
プロテスタント教会にかかげられる十字架にイエスの姿がないのは、復活してそこにいなくなったからだと聞いたことがある。それでも多くの人は、教会にかかげられている十字架を見るたびに、復活よりイエスの死による贖罪をイメージするのではないか。
と、問題提起をしてくれました。



第一部 15章17節「罪の中にいる」をめぐって

 発表・岩本遠億  「第一コリント15章17節の条件文解釈の可能性」

岩本氏の発表は(すでに集った応募論文のような)「アカデミックな視点からの分析ではなく、聖書翻訳文を複数比較検討するようなものもあったらいいな」、という要望に応え用意されたものでした。

岩本氏にはパネリストを頼んでいたのですが、発表原稿まで用意してくださり今回のセミナーが充実したものになりました。

岩本論文は「条件文」の「前提」と「帰結」の論理的関係がどう日本語翻訳聖書で反映されているかを検討しながら自らの「翻訳案」を提示するものでした。

その際課題とされた第一コリント15章17節だけでなく、パウロ書簡の(主に)復活を扱っている箇所や他にも数箇所例証して、「条件文の論理的関係」のバリエーションがどれだけあるか比較参照するものでした。

岩本氏の発表後の「(今もなお)罪の中にいる」をめぐるパネル・ディスカッションは、小山氏と眞鍋氏の応募論文、そして高橋氏が用意した「レスポンス」を交えたものでした。

説明を簡単にするため、「罪の中にいる」の意味の取り方を基本的に次の二つに整理しておきます。

 (A)「もし復活しなかったなら・・・まだ罪の中にいることになってしまう」
 この解釈は、キリストの復活を反事実として前提し、その論理的帰結が「罪の中にいる」ことになる、という一般的議論になります。

 (B)「復活を否定するから・・・あなた方は罪の中にいる」
 この解釈は、コリント信者の一部がキリストの復活を事実否定(するような言動を)しているから、「彼ら自身が罪の中にいる」ような状態を生じさせているのだ、というコリントの信者の実際に即した議論になります。

(A)タイプの解釈を取っているのは、
 (岩本氏が紹介してくれた日本語訳聖書では)
  ・口語訳
  ・新共同訳
  ・岩波訳
  ・フランシスコ会訳、
 それにライトの近著『革命が始まった日』を採用した小山論文、と言うことになります。

(B)タイプの解釈を取っているのは、
  ・(17節の論理的前提→帰結が不明瞭だが)新改訳
 そして岩本氏、さらに眞鍋論文もこちらの方に入れるのが妥当かと思います。

 パネルディスカッションは、この(A)タイプと(B)タイプのどちらの解釈がより妥当だろうか・・・を考えるようなものになりました。

 ディスカッションしていて気が付いたのですが、ギリシャ語原文では「罪」には所有格「あなたがたの」があり、殆どの英訳聖書では「in your sins」と訳しているのに、紹介された日本語訳聖書のうち、口語訳、新共同訳、フランシスコ会訳では所有格部分が省略と言うか訳されていないのです。(なぜなのか話題にして見ましたが「不思議だ」の感想しかありませんでした。今後検討が必要かと思いました。) 

 
第二部 復活の「福音」の伝承をめぐって

第一部が「罪の中にいる」という1節の中の1フレーズをめぐるミクロな解釈論でしたが、第二部は15章冒頭にある「受け・伝えた」という福音全体の伝承をめぐるかなりマクロな考察でした。

第一部より時間が短く深い議論は出来ませんでしたが、コリント信者たちに福音がどのくらい正確に伝承されたのか(あるいは内容が変容したのか)を考察するものでした。

残された新約聖書文書間の関係を問題にした溝田論文や、コリント教会での問題のように「異文化間」で伝承された内容が変わる問題(川向論文)等、背景的な問題を考える機会でした。

福音派の背景の方々には聖書を読み、解釈するとき「文書資料説」のような思考は余りしていないと思われるので、福音を受けた「ゼロ世代」というネーミングにはっと感じられた方もおられたようです。


さて、ここからは雑多な感想になりますが、小山論文が採用したライトの「継続する捕囚」について、「(今回は)掴んじゃったかもしれない。」と後日感想を述べられた方がいました。

この(解釈の枠組)ポイントは、ライトの著作でかなり出てくるので、一度「掴む」といろいろ応用の幅が広がるのではないかと思います。(もちろんライトの説が正しいと思わない研究者も多くおり論争点であることに変わりありませんが。)


福音派の「聖書主義(ビブリシズム)」との関連で


最後に今回のセミナーを準備し、そして終わって考えたことを述べてみます。


福音派と云うと極端な場合「聖書だけあればいい。信条も教理もいらない。」のような立場があります。

どちらかというと「反・権威、反・専門家(アカデミック)」な傾向で、最近話題になった「反知性主義」とも繋がるものです。

今回岩本氏の発表は「翻訳聖書の本文(だけ)を相手にしてどこまで『意図された意味』に迫れるか」という狙いに応えてくれるものでした。(言語学という別な専門からの知見を加えたものであることはそうなのですが。)

一方小山論文や眞鍋論文は「最近・最新のパウロ研究」の成果を組み入れようとした点で、宗教改革者たちが目指した「リタラルな解釈」、つまり聖書著者の意図した意味という広い意味で歴史的な人文学的研究に即したものでした。

このように福音派の方々自身、そしてそうじゃない人たちも、「リタラルな聖書解釈」については異なる(かなり幅のある)考え方があると思います。


そういう現状を考えると、今回のセミナーは福音派の教会に集う信者の方々の聖書理解がどのような性格の「聖書のリタラルな解釈」の上に立つのかを考える(ごく小さな)一つのトライアルというか実験の機会を提供できたのではないかと思います。


以上、内容的には全然詳しくないレポートでした。

詳しくは、後日あめんどうから発売予定の「レジュメ」(当日のツイキャス音声リンク付き予定)の案内をお待ちください。
※今回は「DVD販売」はありません。


最後に、

今回のセミナーに参加なさった方、発表者・パネリスト、裏方さん、

ご協力ありがとうございました。
 

N.T.ライト・セミナー運営委員一同

2017年10月14日土曜日

第6回 N.T.ライト・セミナー、内容紹介(少し変更)

第6回 N.T.ライト・セミナー、内容紹介

を少し変更しました。
以下主に変更部分だけを紹介しておきます。


第一部(13:10-14:30)(発表とパネル討論)
     15章17節「罪の中にいる」をめぐって

 開会挨拶と祈祷・小渕(あめんどう)


 イントロ・小嶋崇(巣鴨聖泉キリスト教会・牧師)


 発表・岩本遠億  「第一コリント15章17節の条件文解釈の可能性」

 応募小論文紹介
  小山英児(栄シャローム福音教会・牧師)
    「今もなお罪の中にいる」ことの一考察
  眞鍋献一(日本メノナイトブレザレン教団桑名教会・牧師)
    1コリント15:17 「今もなお、自分の罪の中にいること」についての考察


 パネル討論
  パネリスト:高橋秀典(立川福音自由教会・牧師)
         岩本遠億(キリストの平和教会・牧師)

休憩(10分)

第二部(14:40-16:00)(発表とパネル討論)
     復活の「福音」伝承をめぐって
 

 応募小論文発表・溝田悟士「ゼロ世代とパウロ/パウロと福音書」
 

 パネル討論
  パネリスト:高橋秀典
         溝田悟士(広島大学大学院総合科学研究科・研究員)
         岩本遠億
 

 セミナーに寄せた小論紹介
   上沼昌雄(神学とミニストリー・主宰)
     「第6 回N.T.ライトセミナーのために」
   川向肇(一キリスト者からのメッセージ・ブログ主)
     「アップデートされ続けてきた『復活』」
 

 フロアーとの質疑応答(30分)
 

 報告・案内

※後日レジュメ(A4で20ページ)を販売する予定です。

簡易ライブ配信を予定しています。詳細はツイッターの方

参加希望の方は小嶋まで(なるべく)10月15日までにご連絡くださると、レジュメの印刷部数等調整できますので、よろしくご協力のほどお願いします。メールアドレスは右コラム(→)下の方

第6回N.T.ライト・セミナー
(事務局) 小嶋崇

2017年10月1日日曜日

第6回 N.T.ライト・セミナー、内容紹介

第6回N.T. ライト・セミナーの輪郭がほぼ決りましたので少し詳しい案内をさせていただきます。

 日時: 2017年10月23日(月)13時~16時
 場所: お茶の水クリスチャンセンター・416号室(40名収容)
 参加費: 一人1000円

今回は共同研究としました。

1コリント15章17節、特に「今なお罪の中にある」を考察する小論文を募集しました。

三人の方から小論文が送られてきました。(紹介は↓)

残念ながらそのうち二人の当日出席が叶わないので、パネル・ディスカッションを用いて「福音、復活」のテーマを掘り下げることにしました。

パネリスト: 高橋秀典(立川福音自由教会牧師)
        岩本遠億(キリストの平和教会牧師)

岩本氏は第5回セミナーに初めて参加されました。牧師であると同時に、大学で言語学を講じる専門家です。

それで、15章17節もその連なりにある、パウロが15章の議論で繰り返し用いる「条件文(if clause)、もし~なら」について言語学の観点から発表もしていただくことにしました。

それで大概以下のように進めていきたいと思っています。

第1部


《発表》 岩本遠億
  「第一コリント15章17節の条件文解釈の可能性」
  問い:代表的な日本語訳の聖書が取っている論理的解釈(前提→帰結)だけが可能な解釈なのか?
新改訳、口語訳、新共同訳、フランシスコ会訳等、それぞれの訳文がどのように訳されているのか比較検討し、17節の「可能な解釈」を提案します。

この「第1部」では他にホスト側三人が書いた文章を検討します。
 (1)上沼昌雄・・・「信仰と罪の問題」について、コリント信者と私たちという時を隔てたあいだながら、テキストとの往還を通して見定めようとする文章。
 (2)川向肇「アップデートされ続けてきた復活」
 福音メッセージの内容が伝達されることに伴う変容を「現地化」と云う観点から考察したものです。
 「復活」は仏教の「極楽」との接触でどうなったか。現代ポピュラーに使われるようになった「天国」はどんな現地化バージョン・アップデートと言えるか・・・といったことを扱っている文章。
 (3)小嶋崇・・・「今なお罪の中にある」を、復活がなければ贖罪(「私たちの罪のために死なれた」)は不成立になるのだろうか、という問いに置き換えて考察します。復活が忘却される傾向にある福音派の救いの教理について問題提起する文章。


以上四つの文章を、17節に対する「広い文脈」から投ずるサイドライトと見立ててディスカッションします。

休憩

第2部

以下の応募作三つから適宜ポイントを絞ってディスカッションし、その後フロアーとのQ&Aに移ります。

《応募小論文》 「今もなお罪の中にいる」とは何か

 (1)小山英児(栄シャローム福音教会牧師)・・・「今も捕囚状態にある」という視点から考察
 N.T.ライトの『革命がはじまった日(The Day the revolution began)』(2016年)を参照しながらの考察です。
 (2)眞鍋献一(日本メノナイトブレザレン教団桑名教会牧師)・・・「二者関係」と「三者関係」の視点からの考察
 契約(律法)に違反する罪(複数)を二者関係、「神に敵対する諸力としての罪(単数)」を三者関係と捉え、17節では、前後の文脈から見て、両方のニュアンスが統合されているのではないかと考察しています。
 (3)溝田悟士(広島大学大学院総合科学研究科・研究員)「ゼロ世代とパウロ/パウロと福音書」
 福音の伝承を反映する新約聖書諸文書の「並び順」ではなく「執筆順」に捉え直し、伝承を「世代」順で考察するものです。
 復活を「出来事/事実」と伝承した「ゼロ世代」に対し、15章で展開されている「伝承された復活・福音」はどんな性格で、そこからパウロと福音書を比較した場合パウロは「何世代」に当たるか・・・といった方法論で考察しています。
 ※溝田氏は当日出席の予定なので補足や高橋氏への応答、Q&Aにも適宜対応してもらいます。

以上三つの小論文に対して既に高橋秀典氏が書いた「レスポンス」がありますので、これを参考にしながらディスカッションしたいと思います。


以上簡単ながらご案内いたします。

参加希望の方は小嶋まで(なるべく)10月15日までにご連絡くださると、レジュメの印刷部数等調整できますので、よろしくご協力のほどお願いします。メールアドレスは右コラム(→)下の方

第6回N.T.ライト・セミナー
(事務局) 小嶋崇

2017年8月4日金曜日

第6回 N.T.ライト・セミナー 「ご応募ください!」

第6回 N.T.ライト・セミナーまで3ヶ月弱となりました。

日時: 2017年10月23日(月)13-16時
会場: 御茶ノ水クリスチャンセンター416号室
今年は《共同研究》にしましたが、「研究課題」と「応募要項」を記したN.T.ライト読書会ブログの案内記事の方も結構たくさんの方に読んでもらっているようです。

ところで、その記事でも記しましたように、なるべく多くの方、様々な背景の方にこの
「そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいる のです。」(新改訳) 

についてコメントしていただきたいと思っています。

別にアカデミックな論文のような形でなくてもいいんです。


第一次応募締切日の「8月31日」まで4週間となりました。
どうぞご応募ください!!

ライト読書会ブログの方に英語ですが参考資料をアップしておきました。